たよりがないのは いいたより2

「ココログ」で書いていたお笑い中心ブログ『たよりがないのは いいたより』姉妹版。

V6・三宅健くんのプロフェッショナルな言葉と「ファン」という存在と

昨夜の『久保みねヒャダ こじらせナイト 』。V6・三宅健くんの言葉には、ハッとさせられるものがありました。

自分たちに向けられていた興味が、いつしか別のところへと移っていくこと、それは自然な心の変化であり、別に悪いことではない。「ファン」は年を経るごとにそうやって心変わりする可能性もある。それでも自分たちは選ばれるための活動を続けることが仕事なのだ…三宅くんの言葉には長く芸能界で活躍を続けるプロとしての想いを感じました。

ときどき、私は「ファンの在り方」について考えることがあります。

何事につけ、「ファン」のタイプはさまざまで、ファンクラブに入り、メディアをすべてチェックし、コンサートや映画の舞台挨拶と聞いたらすべて行きたい!遠征もしたい!という人もいれば、「テレビで見られればいいよ」ぐらいまでライトな人もいます。

さらに中には、自分が好きな対象に目覚めた人に対し、SNSであふれんばかりの感謝を示し、情報を提供する人もいます。それは、受け取る側にとっては嬉しいと思うこともあるでしょうが、重すぎる…と感じることもあるでしょう(そういえば、いつぞや「ジャニーズのファンが怖い」というブログを書いていた方がいましたね)。

私の「ファンの在り方」についての考えは未だフラフラとしていますが、三宅くんの言葉は、ファンの前に立ち続けてさまざまな経験をしてきた人だからこそ言える重いものだと感じました。だから、少なくとも見る側は、ちょっとした情報や言葉尻をとらえて脊髄反射で反応してはいけないんじゃないかなと思いますし、ふとネガティブな言葉が浮かんできて、それを誰かにぶつけそうになった時も、好きだからこそいったん落ち着いて考えることが大事なように思いました。

ちなみに、私はV6は興味を持って拝見していますが、ファンクラブに入っているわけでも、ライブに行ったことがあるわけでもないので、「ファン」とはいいがたいと思います。テレビに出ているとチャンネルを合わせたくなります…というレベルです。ただ、20周年ライブのときのことは、いろいろなエピソードを見聞きし、心からうらやましく思いました。